フォリナーの歴史は、元スプーキー・トゥースのギタリストだったイギリス人のミック・ジョーンズ(g)がレスリー・ウェストのバンドを脱退した1976年にニューヨークで新バンド結成へと動き出したことに始まる。その後、同じイギリス人の元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルド(g, key)とイアン・ハンターのバンドのデニス・エリオット(ds)、アメリカ人の元ブラック・シープのルー・グラム(vo)、アル・グリーンウッド(key)、エド・ガリアルディ(b)を迎えてデモを制作すると、アトランティック・レコードと契約が成立。英米のメンバーで構成されたバンドということで、彼らはフォリナーというバンド名でアルバム『栄光の旅立ち』(1977年)でデビューを果たす。
名の知れたメンバーによって結成されたフォリナーはスーパー・グループとして話題になると、アルバムからシングル・カットされた「衝撃のファースト・タイム(Feels Like The First Time)」が全米最高4位、「つめたいお前(Cold As Ice)」が全米最高6位、「ロング、ロング・ウェイ・フロム・ホーム」が全米最高20位に入るヒットとなり、アルバムも全米最高4位、アメリカだけで400万枚を超える大ヒットを記録。
一躍人気バンドとなった彼らは、アルバム・リリース後、大規模なアメリカ・ツアーを経て、1978年6月に2ndアルバム『ダブル・ヴィジョン』をリリースする。 この作品から「ダブル・ヴィジョン」が全米最高2位、「ホット・ブラッディッド」が全米最高3位、「蒼い朝(Blue Morning, Blue Day)」が全米最高15位にランク・インし、全米最高3位、アメリカだけで500万枚以上のセールスを記録するなど、前作以上の成功を収めた彼らだが、ツアーはアルバムのリリースに先立って3月末からスタート。日本、オーストラリア、ドイツと廻った後、バンドは1978年4月27日、ロンドンのレインボー・シアターでライヴを実施。その時の様子を収めた映像作品『ライヴ・アット・ザ・レインボー 78』を2019年にリリースしている。
エドに替わって、元スモール・フェイセスのリック・ウィルス(b)が加入して制作した3作目の『ヘッド・ゲームス』(1979年)が全米最高5位にランク・インすると、イアンとアルが脱退し、4人で4作目の『4』(1981年)をリリース。シングルの「ガール・ライク・ユー」や「アージェント」「ジューク・ボックス・ヒーロー」のヒットもあってアルバムは全米で10週連続1位という快挙を成し遂げることとなる。
その後も5作目の『プロヴォカトゥール』(1984年)、6作目の『インサイド・インフォメーション』(1987年)をヒットさせたものの、1990年にルーが脱退。ジョニー・エドワーズ(vo)を迎えてリリースした7作目の『アンユージュアル・ヒート』(1991年)がセールス面に失敗に終わり、デニスとリックも脱退してしまう。ミックはルーを呼び戻し、新たなメンバーを迎えて『Mr.ムーンライト』(1994年)をリリースしたが、1997年にルーが脳腫瘍を患い、バンドの活動も縮小してしまう。
2003年にルーが再び脱退したため、ミックは新たに元ハリケーンのケリー・ハンセン(vo)、元ドッケンのジェフ・ピルソン(b)らを起用し、15年ぶりの9作目のアルバム『キャント・スロー・ダウン』(2009年)をリリースすると、2014年には『4』の完全再現ライヴの様子を収めた『THE BEST OF 4 & MORE』を発表。さらに2016年にはデビュー40周年を記念して、40曲入りのベスト・アルバム『40』をリリースして再びフォリナーに熱い視線が注がれる中、2017年5月にスイスでオーケストラとの共演したライヴを実施。その時の様子を収めた映像作品『フォリナー・ウィズ・21世紀シンフォニー・オーケストラ&コーラス〜ライヴ・イン・スイス 2017』を2018年にリリースしている。