DEF LEPPARDが英国のシェフィールドで結成されたのは1977年のこと。1980年には1stアルバム『ON TROUGH THE NIGHT』を発表。デビュー当時はIRON MAIDEN、SAXSONらと共に、NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)のムーヴメントを象徴するバンドのひとつとして認識されていたが、伝統的ブリティッシュ・ハード・ロックをその音楽的基盤としながらも、いわゆるグラム・ロック、バブルガム・ポップのキャッチーさを生まれながらにして持ち合わせていた彼らの音楽は、熱心なメタル層からの支持にとどまることなく、幅広い層に訴えかける力を当初から持ち合わせていた。他の同時代的バンドに比べて早い段階からアメリカからの好反応を得ていたことも、当然ながらそれとは無関係ではない。
以降、彼らが発表してきたオリジナル・アルバムは『HIGH’N’DRY』(1981年)、『PYROMANIA』(1983年)、『HYSTERIA』(1987年)、『ADRENALIZE』(1992年)、『SLANG』(1996年)、『EUPHORIA』(1999年)、『X』(2002年)、そして2008年発表の『SONGS FROM THE SPARKLE LOUNGE』という顔ぶれ。そして、それに続くのが、2015年リリースのセルフ・タイトル・アルバム『DEF LEPPARD』ということになる。彼らのディスコグラフィーにはたくさんのミリオンセラーが名を連ねているが、なかでも『PYROMANIA』と『HYSTERIA』のセールスは、それぞれアメリカ国内だけでも1,000万枚をゆうに超えており、『HYSTERIA』と『ADRENALIZE』は全米No.1にも輝いている。当然ながらヒット・シングルについても枚挙にいとまがない。
もちろん上記の作品群以外にも、ライヴ作品やベスト・アルバム、カヴァー・アルバムなどが発表され、それぞれヒット・チャートを賑わせてきたが、活動歴の長さに対してオリジナル・アルバムの発表枚数があまり多くないのは、このバンドの波乱万丈の歴史に起因する。2ndアルバム発表後の1982年、オリジナル・ギタリストにあたるピート・ウィリスの飲酒癖による脱退は、GIRLでの活動歴を持つフィル・コリンを後任に迎えることで難なく解決しているが、1984年末にはドラマーのリック・アレンが交通事故により重傷を負う。自らの左手をすべて切断するという事態に至り、一時はバンドの存続自体が危ぶまれていた。結果、片手と両足で演奏可能なドラム・キットが彼のために開発されることになり、現在でも彼はそれを駆使しながら演奏活動を続けている。
バンドがさらなる悲劇に見舞われたのは1991年1月のこと。ギタリストのスティーヴ・クラークが、アルコールと精神安定剤、鎮痛剤の過剰摂取により死亡。ちょうどアルバム制作途中にあった彼らは、メンバーの補充を行なわずに『ADRENALIZE』を完成させたのち、その後任には元DIO、WHITESNAKEのヴィヴィアン・キャンベルが迎えられている。近年ではさらに、そのヴィヴィアンが癌に冒されるという事態にも見舞われているが、治療の甲斐もあって彼は音楽活動を継続できるようになり、DEF LEPPARDのラインナップは、彼が加入した1992年以降はまったく変わっていない。
DEF LEPPARDは、さまざまな危機を乗り越え、純粋な音楽愛を保ちながら常に現在進行形であり続けている。