W.A.S.P.は1982年、ブラッキー・ローレスを中心にロサンゼルスで結成された。当初は“HYENA”と名乗っていたが、バンド名の評判があまりにも悪く、W.A.S.P.に変更。血糊や生肉、裸の女性を登場させるなど、凶悪凶暴なイメージを実践したステージングで80年代メタルを象徴するバンドとなった。彼らのステージは、デビュー前の1983年に3,000人収容のサンタモニカ・シヴィック・ホールを単独で超満員にするほどの評判となり、同年12月には噂を聞きつけたIRON MAIDENのマネージャーであるロッド・スモールウッドがライヴを視察、その場でマネージメント契約を結び、破格の契約金でメジャー・レーベルの「Capitol」と契約を果たすことになったほど。以来、幾度もメンバーチェンジを繰り返しながらも、現在までバンドは続いている。
1989年9月、4作目のアルバム『THE HEADLESS CHILDREN』のツアー終了後、相次いでメンバーが脱退、バンドはブラッキー・ローレスひとりとなってしまう。1990年4月、ブラッキーは自らが所有するフォート・アパッチ・レコーディング・スタジオでソロ・アルバムの録音を開始。彼はひとりでベース、リズム・ギター、キーボードを担当。リード・ギタリストにボブ・キューリック、ドラマーにフランキー・バナリとステット・ハウランドを迎えて完成されたのが、『ザ・クリムゾン・アイドル』だった。しかし、レコード会社からの提案により、最終的にW.A.S.P.の通算5枚目のスタジオ・アルバムとしてリリースされることになる。
『ザ・クリムゾン・アイドル』は、ジョナサン・アーロン・スティールという架空のロック・スターを主人公に物語が進行するコンセプト・アルバムだ。野望と陰謀、栄光と挫折が渦巻く、ロック・ビジネスの世界が舞台となっており、ブラッキーの経験に基づいたリアルなストーリーが展開されていく、一大ロック・オペラである。
この作品は英国や日本では1992年初夏にリリースされたものの、米国では1993年5月まで発表されなかった。そのせいか、米ビルボードではチャートインせずに終わっている。ところが、英国では爆発的なセールスを上げ、最高21位を記録。ノルウェー、スイス、オーストリア、スウェーデン、ドイツなどヨーロッパ各国でもヒットを記録した。もちろん日本でも高い評価を受けていた。アルバムを聴くとその辺の事情もよくわかるだろう。ドラマティックな構成とメロディ重視のヘヴィなサウンドは、明らかにブリティッシュ・ロック、ブリティッシュ・メタルからの影響を強く感じさせるものとなっている。加えてコンセプト・アルバムであるため、ラジオでのエアプレイが重要となる米国ではプロモーションし難い面があったのは仕方ない。