ドゥルードゥフは、ウクライナのブラック・メタル・バンド。(Drudkhとアルファベット表記をすれば、ピンと来るブラック・メタル・ファンも多いだろう。)インタビューも受けなければ、写真も公開しない。ライヴなどやるはずもない。極端な秘密主義で知られる彼ら。90年代以降のブラック・メタルは、多かれ少なかれ反商業的な側面を持っていた(このムーヴメントは、商業的になりすぎて普通の音楽に堕したデス・メタルへのアンチテーゼとして生まれたものだ。)ことを考えれば、ドゥルードゥフの姿勢も理解はできる。
だが、「秘密」主義で「知られる」というのも妙な言い回しだ。「秘密」というのは、人に「知られない」ことであるのだから。なぜ、秘密主義を徹底するドゥルードゥフが、こうも大きな注目を集めているのか。それは、彼らの作り出す音楽が、とても一部の人間だけの秘密にしておくのは不可能なほど魅力的だからだ。ひとたびその魅力が外に漏れれば、噂が広まるのは早い。秘密にされればされるほど興味を魅かれるというのが人間の本性なのだ。ドゥルードゥフには、よけいなプロモーションなど不要。音楽がすべてを語ってくれるのである。
02年、Hate Forestという、かなりヤバいバンドのメンバーであったRoman SaenkoとThuriosによって、ドゥルードゥフは結成された。翌03年にデビュー・アルバム『Forgotten Legends』を、イギリスのSupernal Music(これもかなりヤバいレーベルだ)からリリース。実質3曲(+アウトロ)で40分弱という実に極端な内容の本作は、まだBurzumの直接的影響下から逃れられていないように思える。
ドゥルードゥフがその独自のサウンド、世界観を完成させたのは、翌04年に発表されたセカンド・アルバム『Autumn Aurora』においてだ。「秋のオーロラ」というタイトル、そして「夜の森に吹く風」、「最初の雪」といった曲名が示すとおり、この作品ではウクライナの広大な自然が、音楽を用いて見事なまでに表現されている。本作は、アトモスフェリック・ブラック・メタルという名がふさわしいスケールの大きな名盤として、世界中から絶賛された。その後も彼らは、ほぼ毎年という速いペースで、しかもクオリティの高いアルバムを次々と発表。6枚のアルバムをリリースしたところで、フランスの名門、Season of Mistへと移籍を果し、『Microcosmos』(09年)、『Пригорща зірок (Handful of Stars)』(10年)、『Вічний оберт колеса (Eternal Turn of the Wheel)』(12年)、『Борозна обірвалася (A Furrow Cut Short)』(15年)という4枚のアルバムをリリースした。
2018年には、11枚目のフル・レングス『Їм часто сниться капіж(They Often See Dreams About The Spring)』をリリース。美しくも儚いメロディを奏でるトレモロ・ギター、凍てつくような絶叫ヴォーカル、そして圧倒的に雰囲気を盛り立てるシンセサイザー。民族音楽的要素を強めたり、アコースティック・ギターを大幅導入したり、ときにプログレッシヴな面も見せたりと、それなりの音楽的変遷を経てきているドゥルードゥフだが、今回は「彼らはしばしば春についての夢を見る」というタイトルから想像できるとおり、名作『Autumn Aurora』を彷彿させる内容へと回帰している。