1945年イギリス・ロンドン出身、ザ・フーのギタリストでありロックの思想家、ピート・タウンゼント。
1982年にザ・フーを解散させ、ソロ・アーティストとして新たな一歩を踏み出す。1985年にライヴ・エイドで一度限りのザ・フー再結成ライヴを行ったものの、彼の“本業”はあくまでソロ・キャリアであり、アルバム『ホワイト・シティ』を発表。同作に伴うツアーの一環としてドイツのTV番組『ロックパラスト』に出演しライヴを行った。
“ピート・タウンゼント&ザ・ディープ・エンド”名義で行われたステージには、超豪華なミュージシャン達が集結している。ピートがギターとヴォーカルを担当するのに加えて、当時ピンク・フロイドが活動休止中だったデヴィッド・ギルモア(ギター)が全面参加。1983年、ピンク・フロイドの『ファイナル・カット』発表後にロジャー・ウォーターズと決裂したデヴィッドはバンドを封印。ソロ・アルバム『About Face 狂気のプロフィール』(1984)で新しい音楽性の実験を図っている。結局彼はピンク・フロイドを復活させ、『鬱』(1987)で往年のギター・スタイルへと回帰するが、このライヴでは過渡期的なプレイを聴くことが可能だ。
この時期ジェフ・ベック・グループの一員で、後にTOTOや上原ひろみと活動するサイモン・フィリップス(ドラムス)もプレイしている。1960年代から活躍してきたベテランの彼だが、当時はまだ29歳。若さに任せたダイナミックなドラミングで魅了する。さらに元フリーで、ザ・フーのツアー・キーボード奏者を務めたこともあるジョン“ラビット”バンドリック(キーボード)、元メディシン・ヘッドのピーター・ホープ・エヴァンス(ハーモニカ)、ユーリズミックスやトーマス・ドルビーなどとのセッションで知られるチュチョ・メルチャン(ベース)など、イギリスのロック・シーンを支えてきた実力派プレイヤー達がピートをバックアップしている。
このライヴが収録された30年前、ザ・フーはまだ一度も来日しておらず、“まだ見ぬ最後の強豪”と呼ばれていた。また、バンドが解散していたため、ピートのライヴ演奏を見ることは不可能と思われていた時期である。ザ・フーは後に再結成、2004年には初来日も実現している。