ミスティカムは1992年にノルウェーにて、ケラステス[ヘル・ジェネラル・ケラステス](G/VO.)、プライム・イーヴル[スヴァルトゥラヴァン](G/VO.)、ミーン・マルムベルグ[Drベスト](B/SYNTH/PROG)の3人よってサバジオスという名前で結成されている。ドラマーを置かずに、プログラミングによってリズムを構築する新しいスタイルのブラック・メタルを打ち出した彼らは、1993年にミスティカムと名前を変えて制作したデモが、メイヘムのユーロニモスに気に入られ、彼が経営するレーベル“デスライク・サイレンス・プロダクション(DSP)”と契約が成立。デビュー作『ホエア・ザ・レイヴン・ファイルズ』のリリースがアナウンスされた。
ところが、その直後、ユーロニモスがノルウェーのブラック・メタル・バンド、バーズムのヴァルグ・ヴィーケネスによって殺害されるという事件が勃発。レーベルもクローズされ、ミスティカムのアルバム・デビューの話は消えてしまう。その後、改めてデモを制作した彼らは、“フル・ムーン・プロダクション”と契約し、改めて1stフル・アルバムのレコーディングを開始。アルバムは当初予定されていた『ホエア・ザ・レイヴン・ファイルズ』というタイトルは使わず、『イン・ザ・ストリームス・オブ・インフェルノ』というタイトルで1996年にリリースされた。
このアルバムを引っ提げてヨーロッパ・ツアーを大成功に終わらせた彼らは、カンニバル・コープスらとアメリカ・ツアーも実施。しかし、その後の活動は断続的になり、2004年にこれまで制作したデモやEPなどをまとめた『ロスト・マスターズ・オブ・ザ・ユニバース』を発表したのを最後に活動を休止してしまう。
しかし、2012年、再び集結したメンバーは新曲作りに乗り出し、新たに“ピースヴィル・レコード”と契約。2014年、18年ぶりとなる2ndアルバム『プラネット・サタン』を完成させた。ユーロニモスが認めたオリジナリティ溢れるインダストリアル・スタイルのブラック・メタルは健在で、アルバムはバンドの第2章の幕開けに相応しい作品だ。