JavaScript を有効にしてご利用下さい.
木根尚登 中央線
※返品について必ずご確認ください
万博がそろそろ思い出になろうとしていた頃、テレビのなかでは連合赤軍やマカロニ刑事が躍っていました。そんな時代、月賦で買った五万円のフォークギターを抱えた僕の青春が幕を開けました。 熱病にでも侵されたかのように、ギターを掻き鳴らし、声を張り上げる毎日。まさかやがてそのギターに吉田拓郎さん直々にサインを頂く事になろうとは夢にも思っていませんでした。ましてや南こうせつさんと「妹」を、伊勢正三さんと「22才の別れ」を、ふきのとうの細坪基佳さんと「白い冬」を唄える日がくるなんて…。 御同輩、ご機嫌いかがですか。五十の峠を超えると、心も体もあちこち傷んでくるものですが、僕は今もこうして唄っています。どうですか、久々にギターを抱え、掻き鳴らし、唄ってみませんか。 実は、アルバムのレコーディングが始まる十日ほど前、親父を亡くしました。享年八十歳。死ぬ間際まで現場に出て泥にまみれていた水道屋でした。とどめておきたい親父の言葉を1つ2つと思い出そうとしても、なかなか思い出せないけれど、親父みたいにギリギリまで現場にいたいという思いを日々募らせています。 そのためにも目指すは原点。進みたい未来は原点。そう思う今日この頃であります。そろそろ自分の事も世の中の事もわかってきたし、現状維持の重さも身に浸みています。でも、もっともがいてみたい。そして、もがくための情熱を求め、青春時代へ、原点へ。 御同輩、もがいていますか。勿論、若者にも好かれたいのは山々ですが、LPレコードのあの独特の匂いも知らず、物心ついた頃からテレビゲームで遊ぶ世代にうまく媚びる事は、どうやら僕には無理みたいです。僕は僕なりにしか生きられないみたいです。どうですか、久々にギターを抱え、掻き鳴らし、唄ってみませんか、大きな声で。
2010年2月 木根尚登